2007年12月24日月曜日

難解だわ


打ち切りとなったFrobergerの次はこれ

Bernardo Storace (1637 - 1707)

やっぱイタリアでしょーってことで

SELVA DI VARIE COMPOSITIONI D'INTAVOLATVRA PER CIMBALO ED ORGANO

VENEZIA 1664

を手に入れたよ


見ての通り当時の楽譜なので譜読みに苦労しちょります
まぁ以前もフランスもので同じ苦労はしてるので
それほど悲惨ではないのだが
やっぱり慣れてないと入って行けない

これ見て弾くんだよマジで!
それが古楽の世界なのでありまする

2007年12月2日日曜日

打ち切り

9月から習っていた今の曲を今日で打ち切ることになった
今の自分には仕上げることが困難なものだと痛感したし
それを正面から指摘された

はっきり言ってかなり凹む内容のレッスンだった

圧倒的に練習時間が足りてないのと
音楽的な面も技術的な面も未成熟なのだ

TrabaciかStoraceをさらってくるように言われたのだが
どちらも楽譜がない
アカデミア・ミュージックのウェブで調べたら
Storaceなら在庫楽譜があるようなので速攻注文した

楽譜がきても精神的な復帰はもう少しかかりそうだ

レッスンは3週間後なのでそれまでにはなんとかしなければ…

2007年11月24日土曜日

秋の発表会

古楽研究会が毎年開催しているチェンバロの発表会に行ってきた
何度か自分も出演したことがあるが
人前で弾くのはとてもいい経験ではあるものの
やはり緊張するし
相当なエネルギー(と出演料)が必要となる

今年は研究会が自前の小ホールを持てたこともあり
そのこけら落としも兼ねての企画が盛りだくさん
3連休中ずっとプロ・アマ混在の演奏会をやっている

人の演奏を聴くのも勉強になる
自分ならそうは弾かないだろうとか
なるほどそんな解釈もあるのかなどなど…

長年習っているのに
後から始めた人のほうが極め方が上であることを
まざまざと思い知らされた一日だった

2007年11月23日金曜日

欅の種




11月21日に欅の種を拾い集めてきた
場所は府中の大國魂神社神社

ここには幹周6.8mで樹齢400年を越える欅の老木や
国の天然記念物に指定されている「馬場大門ケヤキ並木」がある

大國魂神社神社は111年(景行天皇41年)に創立され
645年(大化元年)には武蔵の国府を社有地内に置かれ
国衙の斎場となり「武蔵総社」となった

康平5年に源頼義・義家父子が欅の苗千本を寄進したことから
御神木として現在も欅が祭られている

欅の種は細枝に付いた何枚かの落ち葉の付け根に付いている
思ったほど収穫は期待できず20分ほどで30粒程度だった
発芽率が1%程度らしいので
この中に発芽する種が含まれているかは微妙なところ
とりあえず保存しておいて来春には水に浸して沈んだ種だけを巻いてみようと思う

2007年11月19日月曜日

直らない癖

長い年月をかけて身についてしまった癖
いざ直そうとしてもなかなか思うようには直らない

手の形や構え
指の使い方などなど

意識てい気をつけていても
毎回必ず注意される

直らない癖が演奏上達を困難なものにしている

問題はそれに止まらず
譜読力の低さからくるおかしな運指も指摘された

「好きこそものの上手なれ」

とは言うものの

やはり志が低いのだろうか…

2007年11月18日日曜日

いちごの苗


1ヶ月ぐらい前に買ってきてプランターに植え替えたいちごの苗
今のところ順調に生育している

茎が伸びてその先の葉の重みで地面に触れると
そこから新たな根が出てくることが判明

プランターからはみ出した葉が
芝生に接していたのを放置していたら
芝生に根を張ってしまっていた

けっこう強い根が張っていて
スコップで掘り起こしてプランターに戻した

このままだとみるみる増殖して行くような…
嬉しい誤算でした

2007年11月17日土曜日

ブルーベリーの苗


先月ブルーベリーの苗を2つ購入した
違う品種で1つずつなので
今日は受粉のために追加で苗を買ってきた


ノーザン・ハイブッシュ系

ブルークロップ
ブルーレイ
アイバンホー


ラビットアイ系

ブルーシャワー
ウッダード
ティフブルー


鉢は10号のものを3つ
それぞれに2つずつの苗を寄せ植してみた
保湿のためにバークチップを散りばめて
見た目もちょっといい感じな仕上がり

来年の春には開花して
夏には実を付けてくれたらうれしいんだけど
そんなに簡単には行かない気もするのだった

2007年11月9日金曜日

トッカータとプレリュード

似てる

というか

この2つの明確な区別は

ないのだな

2007年11月6日火曜日

欲しい楽譜

Matthias Weckmannのオルガン曲集


Johann Jakob Frobergerの新しいやつ

これはB&renreiterから刊行されてるSiegbert Rampe編集の新しい全集Neue Ausgabe S&mtlichen Werke
全5巻だけど3巻と4巻はそれぞれ2分冊
5巻は現在未刊

2007年11月4日日曜日

Matthias Weckmann

次にやろうかな
それどもd'Anglebertにしようかな

などと考えてみたが
まだしばらくFrobergerだな…

2007年10月29日月曜日

鍵盤と指

親指は他の指とは付いてる場所が違うんだから
同じようには動かせない
無理して均等に扱うよりも
適材適所が好ましい

2007年10月28日日曜日

今回も手のかたち

毎回毎回注意されてる手と指のかたち

言われた通りにできないのと

できてもそのかたちではかえって弾きづらい

特に親指は伸ばさないとってことは

理屈ではわかってて あぁなるほどとは思うんだけど

自力で手がそうなってくれないわけで

これはどうしたものか…

今日なんてほとんどそれのみで先に進まないんだねぃ

2007年10月21日日曜日

基本ができてない

レッスンでの指摘

長年やってるのに
まだ楽譜に書かれている作曲家の意図を読み取れてない

ただぼやっと絵を眺めていたって
画家の心までは見えてこないけど
それなりに色や形は視覚として認知できる

ところが音楽はそうはいかない
楽譜にどんなことが書かれているか
それを具体化するのがインタープリタである演奏者の役目

例えばある似通った音型が4つ並んでいたとして
なぜ作曲家はそれらを微妙に変えているのかを考え
違いを表現するのが弾き手の勤めだ

今の演奏はただ楽譜を眺めてその通り弾いてるにすぎない
あるいはわかっていても手の格好がよろしくないので
表現できていないのかもしれない

そろそろ指摘されなくても自ら発見し
表現できるように!!

2007年10月19日金曜日

テンポリレーション

それができてない!!

今やってるのはFrobergerのCapriccio I

この曲は6つのセクションからできているんだけど

各セクション間でのテンポリレーションがダメダメなのだー

でもCapriccioって言うぐらいなんだし

まぁ許されるかー

2007年10月16日火曜日

音律選択の自由

鍵盤楽器についてまわる問題
それが音律なのだ!

曲に応じて自由に音律を選び
調律できれば好都合

うちの場合たいてい中全音律
時々 不等分律
絶対使わないのが平均律

完全5度より長3度の純正を優先したほうが
和声がきれいに響く
旋律重視なら完全5度を純正に!

2007年10月15日月曜日

料理でいえば

忠実に当時の味を再現したもの

古代料理とか
宮廷料理とか

もしかしたら現代人の口には合わなくて
おいしいと思えないかもしれない

それでも 当時の食生活を知る上で食べてみたいとか
ひょっとしたら意外な味の発見があって楽しめるかもしれない

古楽ってそんな感じかな

必ずしも現代人の耳に心地よいとは限らない

料理にしたって
古代「風」だったり宮廷「風」だったり
現代人の味覚に合うようにアレンジしたほうが食べやすい

音楽も同じ
本来はあっさりした演奏だったはずなのに
もっとロマンティックに奏でるほうが好きだと思う人は
多いのかもしれない

でも自分は現代風にアレンジされてない
当時の料理や音楽に興味があるタイプなんだな




ちょっと視点が違うけど
インド人が作る本格的なインドカリーを
おいしいと感じる人もいれば
日本人の味覚に合うようにしたインド「風」料理や
はたまたカレライスがいいと思う人もいるわけで
どれがいいとは一概には言えない

だけど
原点を追求する姿勢を
作り手は捨ててはいけないような気がするんだよね

2007年10月14日日曜日

チェンバロとは














1.呼称について
ドイツではチェンバロ、フランスではクラヴサン、イギリスではハープシコード、イタリアではクラヴィチェンバロ…
国によって呼び名は様々ですが、これらはすべて同じものである。
日本ではチェンバロ、若しくはハープシコードが一般的な呼称。


2.誕生と繁栄
チェンバロの起源は古く、15世紀以前にまで遡る。
ルネサンスからバロックにおよぶ長い歴史を持つ有鍵撥弦楽器。
18世紀末にフォルテピアノが台頭するまでヨーロッパ各地で製作された。
大別してイタリアン、ジャーマン、フレミッシュ、フレンチがあり、それぞれ構造も音質もタッチも異なる。
特にフランドルのルッカース一族によって製作されたチェンバロの輝かしい音色は魅力的。
各時代、各国において膨大なチェンバロ作品が生み出された。


3.調律とピッチ
調律は現代の12平均律ではなく、中全音律や不等分律を用いる。
ピッチも現在の国際標準ピッチより半音から全音ほど低い。


4.作品への適応
例えば同じフレンチであっても時代によって、或いは製作者によって音質が異なる。
そのような事情から、イタリアの作曲家の作品はイタリアンで、フランスの作品ならフレンチで弾くのが望ましいと言える。
いずれのタイプもピアノに比べ倍音が豊かで、ポリフォニックな音楽では各声部の独立性をはっきりさせることができる。


5.発音機構と鍵盤数
発音機構は鳥の羽軸を楔型に削った「爪」で弦をはじくことで音を出す仕組みになっている。
このように機構的に見ると、「ピアノの前身」というのは間違いだ。
音質的にもリュート等の撥弦楽器に近い。
ちなみに初期フランスのクラヴサン作品には、当時流行っていたリュート音楽を模倣したものが数多くある。
音の強弱はまったく付けられないわけではなく、奏法に応じて僅かに変化する。
鍵盤数は1段であったり2段であったりとまちまち、音域も同様に様々だ。
現代ピアノのように規格化されたものではなく、ひとつひとつの楽器が個性的。
チェンバロはバロック音楽を支えた楽器のひとつであり、当時の音楽表現には適っていた。
「ピアノはチェンバロよりも優れている」といった時代背景を無視した進化論的な考え方は大変危険であり、 否定されるべきものだと思う。



※画像は久保田彰氏の楽器です。

騙されちゃぁぃけねぇょ!!

ことあるごとに
「ヴァイオリンの名器 ストラディバリ」
なんて話題が持ち上がるけど
改造しまくりの楽器の音色云々なんて話は説得力がないよ

音量増加のためには弦張力を高めなければならない
そのため駒を高くし
バスバーは交換され
魂柱も太いものに交換され
ネックの角度を大きくし
指板を延長し
弦もガットからスチールに
これで現代ピッチであるA=442Hzになる!!

極めつけは弓だな
バロック時代の弓とはまるっきり違う!
なんとバロック弓はモダン弓とは逆方向に反っているのだよ!!
つまり本当に狩りで使う弓のような形だね

どう考えてもストラディバリはすでにモダン楽器なわけじゃん
当時の音色とはかけ離れているはず

ロマン派以降に必要となった
音量と均質性を追い求めた結果だね

バロック音楽は均質性を嫌うから
弾く位置で異なる音色が出せる弓は理に叶ってる
ところがロマン派以降では
どの位置で弾いても均一な音色がよしとされる




とまぁ ここまで書いても信者は目覚めることなく

「改造されても素晴らしいんですよ!」

と言うわけで
暗示というものは実に恐ろしいものだと痛感

ヤレヤレですな…

2007年10月13日土曜日

もしもViolaが弾けたなら

目標はバッハの無伴奏チェロ組曲をViolaで弾くことかな
バロックチェロのビルスマみたいな演奏を目指したい
カザルスじゃなくてね!!!

ちゃんとバロックの様式感を心得ている人に教わりたい
そんな希望を受け入れてくれる先生を見つけ出すのは絶望的だけどね…

2007年10月12日金曜日

向き不向き

ものごとには当然ならが向き不向きがある

スポーツはもちろんのこと
仕事にも趣味にもそれは言えることだろう
音楽のジャンルや関わり方も人それぞれだし
どんなふうに向き合って行くかは千差万別だと思う

たとえばバロック絵画の鑑賞を考えてみよう

絵画展へ足を運んでも
「きれい」とか「すてきねぇ」で終わっちゃう人もいれば
もっと深く時代背景まで調べて
描かれた内容の本質まで迫ろうとする人もいる

音楽にも同じことが当てはまる

難しいことを考えずに
とにかく音楽を楽しみたいと思う人がいれば
当時の演奏慣習や時代背景まで入念に調べて
演奏に取り組む人もいる

特にバロック時代の絵画や音楽は
レトリック(修辞技法・修辞学)を理解し
描かれたものや楽譜を読み解いて行けなければ
本質には迫れない

そうした作業を楽しみと感じる人もいれば
苦痛だと思う人もいるのだろう

良い悪いではなく
何を楽しいと感じるかはその人によって違うのだね

2007年10月11日木曜日

階名を当てるコツ

だいぶ前に興味深く読んだ本を久しぶりに開いてみた

東川清一 著 「シャープとフラットのはなし」 音楽之友社

今読み返してもさすがとしか思えない

気になるポイントを箇条書きにしておこう

階名…ドレミファソラシド
音名…ハニホヘトイロハ(CDEFGAHC)

楽譜を開いて階名で歌う時は…
最後の#はシ
最後のbはファ
調号がない場合のトはソ(ヘはファ/ハはド)
と覚えておくと便利


「移動ド」で考えると
ハ長調もニ長調も主音はドになる

2007年10月10日水曜日

様式感

バロック音楽を耳にした時
自分が「あぁ〜いいなぁ〜」と感じる演奏は
その作品に対して説得力のある見識をもって
奏でられるものだと思う

例えば組曲
個々の舞曲が持つ様式感を踏まえているかどうか
どんなに流暢で典雅な演奏であっても
演奏慣習に裏打ちされた様式感に目をつぶるわけにはいかない

ちょっと覚え書きにしてみると…

〜演奏習慣とは〜

☆記譜法の知識
 付点リズムの取り扱い
 ノートイネガル(不均等音符)(フランス様式)
 アーティキュレーション
 不協和音の取り扱い
 装飾音
 即興性

☆様式感
 平均律のプレリュードはイタリア様式のトッカータ(自由で即興的)
 平均律のフーガは模倣の技法による対位法
 通奏低音的な部分もある
 ブリゼ様式
 リュート様式

※当時の一般的な形式についてはだれもが知っていることを前提に書かれている

☆テンポ感、リズム感
 舞曲には決まったリズムやテンポが存在する



やはりこのあたりは無視できないポイントになってくる

理にかなってない演奏を聴いてもイライラするだけで
ちっとも楽しめないのだ!

2007年10月9日火曜日

梨の種まき


なんか果樹の種まきにハマってる!!

調子に乗って梨の「新高」を買ってきて
種を採取してまいてみた

「新高」は梨も終わりの頃に出荷されてる大型の品種で
値段も1個300円ぐらいしてる

種は10粒あったけど1粒は包丁の犠牲になってしまった
残り9粒のうち3粒をまいた
6粒は乾燥させて春まき用に保存

発芽には1ヶ月程度かかるなんて情報もあるので
気長に待つことにしよう

ついでにグレープフルーツの種もまいちゃった
発芽率ほぼ100%らしい

どちらも種が腐りませんよーに!!

古楽とモダンの埋まらない溝

バロック時代の鍵盤音楽で使われる音楽形式の代表的なもの

トッカータ
リチェルカーレ
カプリツィオ
カンツォーナ
ファンタジア

組曲の各種舞曲
プレリュード
アルマンド
クーラント
サラバンド
ジーグ

これらを譜面通り弾いても音楽にならない
では感情を込めて弾けばいいのかというと
そうでもない

肝心なことは記譜されていないので
当時の演奏慣習や形式・様式が重要になってくる

クラシックな人と話をしても
とにかく「楽譜通りに」とか「楽譜に忠実に」と言われてしまい
話が平行線のままになる

埋めようにも埋まらない溝ですな…

2007年10月8日月曜日

スチューベン(葡萄)の種まき


果樹を育てようと思い立ち
昨日は梨とブルーベリーの苗を買ってきた

梨は豊水で
ブルーベリーはラビットアイ系のブルーシャワーと
ハイブッシュ系のブルークロップ

ブルーベリーって200品種もあってよくわかんないけど
自家受粉するから果樹栽培の入門には最適らしい

梨は複数の木がないと受粉しないので
そのうち幸水か新高あたりの苗を買ってくる予定

せっかくだから今朝食べた葡萄の種もまいてみようと思い
種を水洗いして試しに5粒まいてみた

残りは乾燥させて来年の春あたりまいてみようかと…

そもそもいつまいたらいいのかわかんない
5号鉢に観葉植物用の土を入れて
指で1cm程度の穴を開けてそこへ種を入れ土を被せた

まいた葡萄の品種はスチューベン
ニューヨーク州立農業試験場が育成した品種で
酸味が少なくとても甘い

ただ 温暖な気候での栽培には適さず
日本でも青森や山形が主な産地になっている

はたして東京の気温の高い地域で
ちゃんと育つのかどうか ちと疑問ですな

楽典ねぇ(-_-)

楽器演奏する人って

調号見たら即座に何調か言えたり(調判定)
近親調と遠隔調を覚えていたり(5度圏)
三和音や七の和音や九の和音の基本形と転回形をすぐ見抜けたり
和音の度数を即答できたり
コードネーム見て伴奏できたり

な〜んて普通にこなせるもんなのかねぇ?

え?
お前もできるだろうってか('_'?)
はいはいできませんとも!

2007年10月7日日曜日

ルイ・クープラン 組曲ヘ長調

ルイ・クープラン(Louis Couperin)
1626年ショーム(Chaumes)生まれ
1661年パリ(Paris)没


ルイ・クープラン(Louis Couperin 1626-1661)は教会オルガニストの父であるシャルル・クープラン(Charles Couperin c.1595-1654)の三男として誕生した。
後の大クープランとして有名となるフランソワ・クープラン(François Couperin 1668-1733)は、甥にあたる。
ルイは25歳の時、ジャック・シャンピオン・ド・シャンボニエール(Jacques Champion de Chambonnières c.1602-1672)によってそのたぐいまれな才能を認められ、2人の弟と共にパリの宮廷へと赴くことになる。
1653年にサン・ジェルヴェ教会オルガニストの地位を得るが、その後長きに渡りクープラン一族はこの教会の専属オルガニストを輩出することとなる。
宮廷での活躍もめざましかったルイだが、1661年の夏、急な病で倒れ、わずか35歳の若さで惜しまれつつ他界した。

ルイはその短い生涯のうちに200曲余りの作品を残したが、そのうちクラヴサン作品は130曲余り、オルガン作品は80曲近くになる。
17世紀フランスの器楽曲ではリュートがその中心に位置し、クラヴサンは「鍵盤付きリュート」、ヴィオラ・ダ・ガンバは「弓で弾くリュート」と見なされてもいた。
ルイはこの時代の鍵盤音楽の先駆者であるシャンボニエールや、イタリアでフレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi 1583-1643)に学んだドイツのフローベルガー(Johann Jakob Froberger 1616-1667)とパリで交流があったことなどから影響を受け、チェンバロ特有の語法を発展させていった。

プレリュード
ルイの作品の中でもとりわけ特徴的なものに、「プレリュード・ノン・ムジュレ(Les préludes non mesures)」がある。
もともとはリュート組曲の冒頭で奏されたこのプレリュードの形式は、その名の通り「拍子のないプレリュード」であり、すべての音の高さが全音符で記述され、小節線は存在しない。
和音のグルーピングは弧線によって示される。
音楽は時間軸にそって演奏されるものだが、その時間軸を支配する規則性(拍子やリズム)をあえて取り払うことによって多くの即興的要素が生まれ、音楽が持つ新たな可能性を引き出すことができる。
そしてその可能性は演奏者に委ねられているのである。

その他の舞曲
17世紀前半のアルマンドは後の時代のものほどしなだれた感じはなく、堂々とした踊り手の入場を彷彿とさせる。
しかし今回演奏するアルマンドにはgrave(重々しい)の指定があることから、次世代のアルマンドを先取りしていたのかもしれない。
後に続く3拍子のクーラントは器楽的で急速なイタリアのコレンテではなく、軽快ながらゆったりとしたフレンチ・クーラントである。
スペインを起源とするサラバンドはもともと民族ダンスであった。
17世紀にイタリアやフランスでそれぞれ独自に発展したが、フランスでは荘重な雰囲気の舞曲となった。

ルイ・クープランとの出会いがチェンバロを弾くきっかけとなった。
あの時受けたインパクトが少しでも伝われば幸いである。


【参考文献】

1. ルイ・クープラン 組曲とパヴァーヌ レオンハルト
deutshe harmonia mundi (BMG VICTOR, INC. 1992年) BVCD-1809
渡邊順生 解説

2. 使用楽譜(次項参照)

3. 松前紀男 著 「クープラン」 音楽之友社(1985年)

4. 浜中康子 著 「栄華のバロックダンス」 音楽之友社(2001年)


【使用楽譜】

"Louis Couperin Pièces de Clavecin"
DAVITT MORONEY EDITIONS DE L'OISEAU-LYRE 1985

2007年10月6日土曜日

フレスコバルディ トッカータ集 第1巻 序文

1. まずこの演奏スタイルでは厳格な拍子に合わせてはならない。テンポが表現される情緒や言葉の意味に従ってその気分に合わされる今日のマドリガルのように合わせてはならないのである。

2. 私はトッカータの中に別種のパッセージや各種のセクションを挿入したが、それは単独に演奏されてもよいのであって、演奏者はそれを通して演奏しなければならないと考える必要はなく、自分の趣味に従って終わらせればよい。

3. トッカータの始めはアダージョとアルペジョで演奏される。それは、曲の途中のシンコペーションと不協和音についても同じである。和音は両手でアルペジョで演奏しなければならず、又奏者はそれをアドリブで自由に繰り返してよい。楽器は音が途絶えてはならない。

4. 音階や分散和音の中のトリルやパッセージの最後の音符では、パッセージ相互の混同を避けるために --音価に関係なく-- 少し保持しなければならない。

5. 例え小さい音符で書かれていても、カデンツはソステヌート(音を大切に)で演奏しなければならない。そして、パッセージやカデンツの終わり近付けば近付く程、益々速度を落とさなければならない。区切りやパッセージの終わりは両手に対して2分音符の和音で示される。

6. 一方の手がトリルし他方の手があるパッセージを弾いている場合、トリルは規則正しい音符に分けるのではなく、流れるように、パッセージは余り速くなく明瞭に演奏しなければならない。そうしないと混乱が起こるであろう。

7. 一方の手が8分音符のパッセージを演奏し他方の手が16分音符の走句では、二番目の16分音符は少し符点気味にして弾いていく。一つは符点を付け、他は符点なしでという具合に弾く。

8. 例え短い音符でも、16分音符のダブル・パッセージの前の音符で休止をとり、それからきっぱりとパッセージに入っていって手の軽快な動きを示しなさい。

9. パルティータやトッカータの速い変奏やパッセージにおいては、中庸のテンポを選ぶ方がよい。変奏がない場合には、もっとスピードをつけて演奏しなければな らない。曲の精神と奏法の最もよく合致するテンポを見つけ出すのは、奏者の良い趣味と正しい判断に負うものである。

(パッサカリアの色々な部分は随意に取り出して弾くことができる。同じことがシャコンヌにもあてはまる。)

2007年10月5日金曜日

イタリア・オルガニストの流行

武蔵野市は毎年「国際オルガンコンクール」を開いているのだが、2004にその審査員特別マスタークラスで来日したイタリアのオルガニスト、アンドレア・マルコーン氏の公開レッスンが行なわれた。
その時の内容が「日本オルガン研究会」発行の「オルガン研究 XXXII 2004」に掲載されていて、師匠と二人でそのことが話題となったこともある。

トッカータを弾くにあたっては、G.フレスコバルディのトッカータ集第1巻の序文に、どのように演奏すべきかが箇条書きにされている。
フレスコバルディに限らず、17世紀のトッカータを弾く上でこの序文を読まずに済ませることはできない。
で、先の「流行」と言っているのは、その序文を踏まえた最近のイタリアオルガン界での解釈を指している。
フローベルガーで頻出するパッセージのひとつに長いティラータ(tirata)がある。
ティラータとは4度以上跳躍する主要音間を急速に経過音で埋める装飾のことだ。
このティラータは16分音符で始まり32分音符で終わっているが、必ずアチェルランドを伴って弾かれるものであるというのが最近のイタリア的解釈なのだそだ。
つまり譜面通りの音値やリズムではないということになる。
また、トッカータは冒頭の和音をゆっくりと、好きなように装飾やアルペジオにして弾くのが通例だ。
でも楽譜にはただ基本となる和音が書かれているだけ。
上に掲げた序文や当時の演奏習慣が理解できていないと音楽が構築できないわけだ。

ピアノなどクラシカルな演奏習慣を身に付けていると、そうした自由さや楽譜とは違う解釈に戸惑うかもしれない。
何しろ「楽譜通りに弾きなさい」と言われ続けてきたから。

やはりクラシックとバロックは本質的に違うものなのだと思う。

2007年10月4日木曜日

初めにあるものは…

初めに楽器ありき」

ではないはず!

好きな音楽があり奏でたい曲があり

そこで始めて楽器が決まるんじゃないのかなー

だとするとオーボエで吹きたい曲って

今のところないかな…

ビオラなら多少はある

漠然とその楽器が好きであっても

それだけでは続かないかもしれない

やっぱりチェンバロが弾けるならそれでいいかなぁ…

2007年10月3日水曜日

味…デスカ('_'?)

先日チェンバロに傷を付けてしまったー(*_*)

全面にスライド式の板があって
それを持ち上げて外すと鍵盤が現れるんだけど
板を外して楽器の傍に置こうとして
楽器の縁に当ててしまったよ

ちょうど粘土を親指で軽く押して凹ませた感じの傷

でも15年も生活環境の中に置いていると傷が付くのは当たり前というか仕方ないのかな?

掃除機かけただけで足に当たっちゃったりするもんね

もうあちこち傷だらけだよ〜

ピアノとか大型の楽器を所有してる人はどうしてるのかな?

傷もいわゆる「味」ですかねぃ…

2007年9月30日日曜日

見た目は似てても

チェンバロとピアノはまるで違う。

買ってもほとんど使う機会のないHANONをやってみた。
ピアノでは定番の練習曲集だ。

まずだいいちチェンバロだと鍵盤数が足りないよ〜(-_-;)

それに普段はオールドフィンガリングで弾いてるから、モダンフィンガリング忘れてる!!

とりあえず足りなくなったら折り返すってことで弾いてみたものの、ゆっくりでやっと弾ける程度。

たとえこれがさらさら弾けるようになっても、実践で役に立つものなのかねぇ(-_-;)

5度以上の跳躍はたまに出てくるけど連続することはないし、ピアノ曲みたいにあちこち音が飛ぶなんてことは、スカルラッティやラモーでも選曲しない限りまずない。

17世紀の鍵盤作品を弾いてるぶんにはHANONなんて不要じゃないのかな…

つーか チェンバロでHANONは弾くなってことか!!

新しいこと

本心はやってみたい。
鍵盤楽器以外というか、旋律楽器かな。

でも続ける自信はないかな。

特にモダンのレッスンには、心理的に付いていけない気がする。

「もっと心を込めて演奏しましょう」

とか言われるの嫌だし…

古楽系のレッスンで「感情を込めて」とか「心を込めて」とか、そんなの聞いたことない。

だいいち そんな教え方ないじゃん!

確かに音楽ってそうなりがちだけど、論拠だってあるはず。
ただ感情に流されて演奏するなんてできないよ。

だから もしそんなレッスンだったらかなりショック〜(*_*)
というか やっぱり続けられない。

2007年9月28日金曜日

よい指 悪い指

17世紀の鍵盤音楽を弾く上で、当時の運指法の原則は知っておくべきだと思う。
現代ではあらゆる面で均等化がよしとされるが、400年前はそうではなかった。
5本の指はそれぞれ長さが異なるし、親指に至っては他の4本とは違う向きに付いている。
それぞれの指について能力の均等化を目指すのではなく、むしろ異なる能力をそのまま音楽の中に生かそうと考えていた。

5本の指は「よい指」と「悪い指」に分かれ、強拍には「よい指」を、弱拍には「悪い指」を用いることが普通だった。
ただし、どの指がよいのか悪いのかは地域によって異なるため、作品に応じてよく検討する必要がある。

実際にはアーティキュレーションやフレージングが絡み合ってもっと複雑なのだが、運指を決定する仮定で根底となるのはそこだろう。
現代のように弾き易さがこれらに優先されることはない。

2007年9月25日火曜日

Bachは弾かなーい

自分がバッハを弾かないのはバッハが嫌いだからではない。
かつては大のバッハファン バッハ狂 バッハ信者だった。
いつもバッハを聴いていたし楽譜もたくさん買いあさった。

宗教論争のようなチェンバロ vs ピアノの争いで、ほとんどバッハに対する興味が失せてしまったのが理由のひとつ。

チェンバロを習い始めていろいろなバロック作品に出会ううちに、バッハの異質さに気づいてしまったのも理由のひとつ。

そう、自分のようなバロックの鍵盤曲を弾く者から見れば、バッハこそ異質な存在なのだ。
他に類を見ないほど独特の構造的緻密性を有する対位的音楽形式。
その異質さからあまりに洗練された近代性すら感じ取ってしまう。
自分の琴線に触れたのはもっと荒削りで武骨な17世紀の音楽だった。

バッハには中毒性がある。
ひとたび接してしまうと他に眼が行かなくなってしまう。
ピアノ弾きがショパンを溺愛するがごとく、

「バッハこそ音楽の原点」
「バッハがわたしのすべて」
「バッハを弾くのがライフワーク」

そんな人が世の中たくさんいるわけで…
だがしかし 自分はそうなりたくないのだ!

2007年9月24日月曜日

あれもこれも

やりたくなるんだよなぁ〜

今やってる楽器の他に、別の楽器も習ってみたい。

時々そんな欲求が湧き上がってくるのさ。
ここんとこおさまってたんだけど、久しぶりにウヅキ出しちまったー。

チェンバロの他にオーボエかビオラを再開しようかなと…

でもやっぱりひとつに集中して極めるつもりでやらなきゃダメかね?

余計なことやる暇があったらチェンバロをもっと練習しとけと…
マジメに通奏低音の勉強するとかね!!

読譜演奏

読んで字の如く、楽譜を見ながら演奏すること。
チェンバロはリサイタルの時も楽譜を見ながら弾く。
レッスンでも暗譜を要求されることはない。

楽譜には演奏の可能性をメモっておき、それを見ながらリアルタイムに演奏計画を変更していくことで即興的な演奏となる。

ピアノでバロックを弾く時もこのテクニックは効果的なはずだけど、暗譜にこだわる人が多いのは残念だな…

2007年9月23日日曜日

考え方はいろいろだけど

結構前になるが、ある新聞に某ピアニストの記事が掲載されていた。
あまりに有名なその人の発言に愕然とするとともに、落胆というかやるせないというか、そんな気分になってしまった。

ひっかかったのは大きく2つ。

★楽器
"モーツァルト時代のピアノは発展途上で、作曲家はより大きな音を求めた。
そういう事情を無視して同時代の楽器で弾きさえすれば、より「真実」に近づけるという考えは安易だ。"

本当にそうだろうか…
確かにヒストリカルな楽器を単に弾くだけでは意味が無ない。
その楽器にふさわしい奏法や演奏解釈なくしては片手落ちだと思う。

ベートーヴェンなんかは常にピアノに不満を持っていたようだ。
5オクターヴの小さな木枠の楽器だからそれは当然かもしれない。
彼の書く曲にはこの小さな楽器からはみ出さんばかりのエネルギーがある。
だからと言って現代のピアノで弾こうと考えるほうが安易な気がするのだ。
現代に生きる我々も彼が感じていた不満をその時代のフォルテピアノにぶつけてみればいい。
現代のピアノは大きな音と引き換えに音色の鮮明さやデリケートなニュアンスの表現を失ってしまっている。
聴きとれないほど微かなピアニッシモ。
壊れんばかりに悲鳴をあげて鳴り響くフォルテッシモ。
どれも余裕のある現代ピアノでは体験できないものだ。


★楽譜
"音楽家が参照すべき唯一の規範は楽譜である。演奏の歴史や演奏家の個性は余計なもの。"

これも納得しがたい話。
というか、未だにこんな考え方をする人がいるとは思いもしなかった。
しかも名の通った世界的なピアニストが言うとは…

楽譜は素材にすぎない。
そこに作曲家の思い描いた音楽がすべて書き込まれているわけではない。
実際の演奏に際しては必ず解釈がつきまとう。
単に楽譜通り弾いても音楽にはならないからだ。
だいいちロマン派の音楽ならいざしらず、それ以前ともなれば演奏者の解釈に委ねられている部分は少なくない。
当時の楽器を使い、当時の演奏慣習を調べ、自分なりに解釈した上で演奏することの何が余計なことなのだろう。


古楽もずいぶん浸透して市民権を得たとばかり思っていたが、思い違いをしていたのだろうか。
あるいは凡人には理解が及ばない高みに達している方のお言葉だからなのか...

2007年9月22日土曜日

お持ち帰り


汚い部屋ですんません(・ω・;A)アセアセ…

ご長男さんが本日、チューガッコから弦バスをお持ち帰り。
ファスナーが壊れたソフトーケースに包んだだけで、えっちらおっちら担いできたさー。

ガッコとウチは徒歩8分ぐらいの距離。
火曜日の朝は車に積んで送ってかなきゃだわ!

もっとボロボロな演奏かと思ってたけど、彼にしては意外なレベルかな。
このやる気が持続するならいいんだがねぃ。

でも持ち帰れるなら『マイ弦バス』は不要だよね〜♪

2007年9月20日木曜日

解釈の罠


例えば400年前の人々と現代に生きる我々が同じ価値観や美意識を持っているとは思えない。
移ろいやすく普遍性などないのが人間の感性ではないか。
だからといって、過去の遺産を我々の好みに合わせて改編することが許されるわけではない。

17世紀フランドルの画家、ルーベンスの「最後の審判」に描かれている人物。
そのほとんどが極めて不自然なポーズをしている。
ここで作品の解説をするつもりはないが、我々が何の予備知識もなく現代人の感性だけで作品を眺めても共感できる部分は少ないはずだ。
この宗教画に描かれた場面の意味合いのみならず、そこに秘められてたレトリックや時代背景、強いてはバロック芸術の特徴といったことが理解できなければこの時代の作品を読み解くことは難しい。
もっとも、それが故に現代人の感性にマッチするよう手直しすることなどあり得ないだろうが…

絵画や彫刻は作品そのものが形として残っている。
音楽はどうだろうか。
楽譜という媒体で残されたものはあくまで素材であって音楽そのものではない。
美術と音楽の決定的な違い、それは時間芸術である音楽は演奏された瞬間にしか存在し得ないという点だ。
しかしながら演奏するのは紛れもなく我々現代人である。
だが残された楽譜だけから当時の音楽を鳴り響かせるのは困難だ。
特に古典派以前、バロック音楽においては楽譜にすべてが記されているわけでもなく、現代の楽典で事足りるものでもない。
ここに解釈の罠が潜んでいる。
現代人の感性に頼りすぎ、様式感の欠如した演奏は作品本来の姿を歪めてしまう。
例えばルイ・クープランのプレリュード・ノン・ムジュレ。
小節線がなく、拍子もなく、すべてが白玉で書かれている。
楽譜だけ渡されても演奏することは困難だろう。
仮に弾けたにしても、際限なくロマンティックに仕上げることもできてしまう。
時間芸術の難しさはそこにある。

2007年9月19日水曜日

これはどう弾くんだい?


フローベルガーのファンタジア。
問題は1小節目なんだが…

2007年9月17日月曜日

練習のポイント 001

各セクションの後ろの小節から、だんだん前へ広げながら弾いて行くと、頭から弾いて行くよりムラがなくなるので効率的。

クリスティアン・ペツォルト

「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」は有名だけど

その中の

「メヌエット ト長調 BWV Anh.114 / ト短調 BWV Anh.115」

はこれまた超有名♪

しかしだ これはJ.S.バッハの作品ではないのだよ。

長らく作者不詳とされていたけど ほんとは、

Christian Petzold (1677-1733)

が正解!

この音楽帳は当時の作曲家の作品もたくさん含まれているから、全部がJ.S.バッハ作ってわけじゃないんだよー。


なーんて もう知ってたかな?w

2007年9月16日日曜日

譜読みができてない

それだけでなく、音楽的にわかってないし、頭に入ってないし、指もだめだめ。

絶対的な練習時間が足りてないね。

メヌエットは何拍子?

まぁ普通は3拍子って答えるよね。
でもここはひとつ 笑われるのを覚悟で2拍子だと言ってみたい!

メヌエットってのは舞曲のうちの1つ。
そして6拍で1セットの踊りなんだよ。

なので 2小節が1セットになるわけ。
そんで 1小節を大きな1拍と捉えて、強拍と弱拍の2拍子に感じられるように弾くと踊りやすいんだ。

チェンバロのレッスンではそんなふうに教えたりするよ♪

ま 結局は3拍子なんだけどねw

2007年9月10日月曜日

エコならば



初めて万年筆を手にしたのは中学の頃、オヤジから譲り受けたシェーファーだった。

高校に入ってからも筆記具の中心は万年筆。
数百円の万年筆を数本使っていた。

社会人になってモンブランのNr.144を買った。
残念ながら落として破損しちゃったけど…

最近は筆記することもほとんどないので万年筆も必要ない。

そんな今、手元にあるのはシステム手帳を使っていた頃のパイロット製の細身のやつ。

それからウォーターマンの安いやつ。

エコロジーとか言ってるヤツがボールペン使ってるの見ると偽善者だなーとか思う。


でも、また万年筆ブームみたいね。

さて これは














ある楽器を分解掃除した時の写真ですが、いったい何の楽器でしょう?!

2007年9月9日日曜日

ふえ


さて 笛です。

上の2本が所謂モダン・オーボエです。
上がマリゴ・ストラッサーで下のがロレーdmってやつ。
どっちもセミオート。
オケではロレーを使ってましたー。
リードはショートスクレープタイプのものを愛用っす。

上から3つ目はバロック・オーボエってやつで18世紀頃活躍した楽器です。
もちろんこれはコピー品ですよ念のためw
デンナーモデルというやつで坂本徹氏に製作していただきました。
でも自分には吹けないデス...
音は出るけどね!

いちばん下のはフラウト・トラヴェルソ。
これはバロック・フルートですね。
元の楽器はスティンズビJr.のもので象牙でできていました。
写真のはアウロス製のプラスチックで~す。
でも侮れないんだなこれが!
結構イイ音しますョ♪
あ もちろん曲を吹けるレベルではありませぬ!!!

らっぱ


長男が小5の時に学校の運動会でペット吹くことになって、学校の楽器があんまりアレだし持って帰れないっつーんで急遽ヤフオクでゲットしたYAMAHAのちょっとイイやつ。

これも学校行事と共にお蔵入りなのさー(*_*)
どーしたもんかねまったく...

┐(´ー`)┌ヤレヤレ

代用品


我が家のご長男さまが弦バスの代用ってことでクラシックギターなるものをガッコから持ち帰ってきた。

にわかにエレキが欲しいなどと保崎出したので、

「そんな不良のやるもんにカネなど出せんわ!!」

と言っておいた。

いや マジで「ロック音楽」なるものは不良がやるモンだと思っとるがなw

皇太子サマ♪


その昔、皇太子に似てるなどと大変ありがたい褒め言葉をいただき、ぼっこり凹んだこともございましたが、今はだいぶ気を取り直して比較的前向きに生きております。

さて 皇太子といえばビオラ♪
実はわたくし、中学の頃にビオラを少々かじっておりました。
かじると言っても楽器をガリガリ食べてたわけではなく、ほんの手解き程度に教わってたってことデス☆

同級生のおとーさまが読売日本交響楽団のチェリストで、なぜかその方にビオラを習ってました。

写真のビオラは結婚した時に新調したもので、当初は嫁が習っておりましたが、今となっては…



誰 も 弾 か ね ぇ ! ! !

2007年9月8日土曜日

まだ早いかね


中1の長男さまが水槽で弦バスやっとんだがね。

はたしてマイ楽器を買い与えるべきかどーかっつーとこなわけだ。

本人的には欲しいらしいんだが続くかどーだかわっかんないもんなぁ…


弦バスはコントラバスとかウッドベースとか呼ばれてるやつね。

もともとヴァイオリン族じゃなくてヴィオール族の最低音楽器だったもの。

なので微妙にヴァイオリン族とは違ってる。

例えば弓。

2種類あってヴァイオリン系のフレンチボウとガンバ系のジャーマンボウ。
日本はジャーマンボウが主流みたいね。

楽器がデカくて置き場所が大変だけどデヴがひとり増えたと思えば…