2008年2月29日金曜日

純生ロール



グラン・クリュ

多摩センター駅の改札前にあるケーキ屋さん。
地元ではちと有名かな。

ここの純生ロールはとびきり美味しいとの評判。
でもなかなか買うチャンスがなくて、この前ようやく手に入った。




さんざん期待してようやく口にしたものの…

まぁこんなもんでしょうw

2008年2月24日日曜日

Saya




最近のお気に入り。

ハッキリ言って、ジャケ買いしますた♪

いちおうジャズピアニストってことになってるけど、アルバム「Dance Your heart」以外はジャズとは言い難いかも。
クラシックもののアレンジとかオリジナルとか。

でも聴こえてくる音楽はジャケット同様に癒される感じ。

手に入るアルバム6枚を一気に大人買い☆

2008年2月23日土曜日

ずれまくり


弾く前に調律が必要なのがチェンバロという楽器。
場合によっては30分程度で音が狂ってくることもある。
そのへんは弦楽器だから仕方ない。

音のずれまくった楽器で弾くのはことのほか気持ちが悪い。

でも調律にはそれなりに時間がかかるので、月に1度するかしないか。
堪えられないほど狂っていたら調律することにしている。
こんなことではいけないと思いつつ、練習を優先してしまうのだった。

写真は調律用のハンマーと替えの弦とチューニングピンを押し込むポンチ。

2008年2月20日水曜日

八穀びじん


東都生協で買ってみた。

規格:300g
■価格:980円(本体価格934円)
■原材料:黒米・丸麦・もち麦・もちあわ・もちきび・ひえ・押麦・赤米

国内産の黒米、丸麦、もち麦、もちあわ、もちきび、ひえ、押麦、赤米をバランス良く配合しました。白米2合に大さじ2杯ほどを混ぜて炊き上げてください。

更に上を行く十穀米もあるらしい。
いきなり納豆かけて食べちゃったから味はわかんないですw

2008年2月11日月曜日

春を待つ花芽


2週連続で雪が降ったけど、春は着実に近づいている。

秋に植えたブルーベリーに花芽が♪

一際大きなのはブルークロップのもの。

開花は3月下旬のはずだけど、もっと早くに咲くのかな…

Storaceのレッスンメモ 02

イタリアものでトリルを入れる時は、主音から開始すること。

2008年2月9日土曜日

古代米



正月に実家からもらってきた古代米を炊いてみた。
白米3合に対して大さじ2杯。
一瞬、赤飯のようにも見えるけど、食感は白米と同じ。

朝なのでおかゆにしていただきました☆

お味は…ちょっぴりしょっぱかったのは塩加減かすぃら…

2008年2月7日木曜日

おかゆ


今日は仕事を休んで美術館へ行ってきた。
で、その帰りに立ち寄った新宿のお店。

「謝朋殿 粥餐庁」

しゃほうでん かゆさんちん

いくつか支店があるうちのひとつが新宿なわけで、そこ行きますた☆

以前、仙台のお店に入ったことあって、ゆったりまったりした雰囲気の中で落ち着いて食事ができたんだけど、さすがに新宿の地下街では落ち着けないし店も狭い。
ちょっとデート向きではないかな…

通常のメニューの他、季節粥っつーのがあって、毎月というか週代わりメニューになってる。
2/4 - 2/10 の期間は、「ほっこり大根とたらこあんかけのお粥」ってやつで、それ頼んだよ。
お米は、「五穀米、あずきと米、玄米」の3種類の中から選べる。

ちょっと家では作れない味というか、とにかく絶妙な味ですな。

ヘルシーだから女性客ばっかだー♪

でも結構腹にたまるよ。

2008年2月1日金曜日

時間芸術

例えば400年前の人々と現代に生きる我々が同じ価値観や美意識を持っているとは思えない。
移ろいやすく普遍性などないのが人間の感性ではないか。
だからといって、過去の遺産を我々の好みに合わせて改編することが許されるわけではない。

17世紀フランドルの画家、ルーベンスの「最後の審判」に描かれている人物。
そのほとんどが極めて不自然なポーズをしている。
ここで作品の解説をするつもりはないが、我々が何の予備知識もなく現代人の感性だけで作品を眺めても共感できる部分は少ないはずだ。
この宗教画に描かれた場面の意味合いのみならず、そこに秘められたレトリックや時代背景、強いてはバロック芸術の特徴といったことが理解できなければこの時代の作品を読み解くことは難しい。
もっとも、それが故に現代人の感性にマッチするよう手直しすることなどあり得ないだろうが…

絵画や彫刻は作品そのものが形として残っている。
音楽はどうだろうか。
楽譜という媒体で残されたものはあくまで素材であって音楽そのものではない。
美術と音楽の決定的な違い、それは時間芸術である音楽は演奏された瞬間にしか存在し得ないという点だ。
しかしながら演奏するのは紛れもなく我々現代人である。
だが残された楽譜だけから当時の音楽を鳴り響かせるのは困難だ。
特に古典派以前、バロック音楽においては楽譜にすべてが記されているわけでもなく、現代の楽典で事足りるものでもない。
ここに解釈の罠が潜んでいる。
現代人の感性に頼りすぎ、様式感の欠如した演奏は作品本来の姿を歪めてしまう。
例えばルイ・クープランのプレリュード・ノン・ムジュレ。
小節線がなく、拍子もなく、すべてが白玉で書かれている。
楽譜だけ渡されても演奏することは困難だろう。
仮に弾けたにしても、際限なくロマンティックに仕上げることもできてしまう。
時間芸術の難しさはそこにある。