2007年10月29日月曜日

鍵盤と指

親指は他の指とは付いてる場所が違うんだから
同じようには動かせない
無理して均等に扱うよりも
適材適所が好ましい

2007年10月28日日曜日

今回も手のかたち

毎回毎回注意されてる手と指のかたち

言われた通りにできないのと

できてもそのかたちではかえって弾きづらい

特に親指は伸ばさないとってことは

理屈ではわかってて あぁなるほどとは思うんだけど

自力で手がそうなってくれないわけで

これはどうしたものか…

今日なんてほとんどそれのみで先に進まないんだねぃ

2007年10月21日日曜日

基本ができてない

レッスンでの指摘

長年やってるのに
まだ楽譜に書かれている作曲家の意図を読み取れてない

ただぼやっと絵を眺めていたって
画家の心までは見えてこないけど
それなりに色や形は視覚として認知できる

ところが音楽はそうはいかない
楽譜にどんなことが書かれているか
それを具体化するのがインタープリタである演奏者の役目

例えばある似通った音型が4つ並んでいたとして
なぜ作曲家はそれらを微妙に変えているのかを考え
違いを表現するのが弾き手の勤めだ

今の演奏はただ楽譜を眺めてその通り弾いてるにすぎない
あるいはわかっていても手の格好がよろしくないので
表現できていないのかもしれない

そろそろ指摘されなくても自ら発見し
表現できるように!!

2007年10月19日金曜日

テンポリレーション

それができてない!!

今やってるのはFrobergerのCapriccio I

この曲は6つのセクションからできているんだけど

各セクション間でのテンポリレーションがダメダメなのだー

でもCapriccioって言うぐらいなんだし

まぁ許されるかー

2007年10月16日火曜日

音律選択の自由

鍵盤楽器についてまわる問題
それが音律なのだ!

曲に応じて自由に音律を選び
調律できれば好都合

うちの場合たいてい中全音律
時々 不等分律
絶対使わないのが平均律

完全5度より長3度の純正を優先したほうが
和声がきれいに響く
旋律重視なら完全5度を純正に!

2007年10月15日月曜日

料理でいえば

忠実に当時の味を再現したもの

古代料理とか
宮廷料理とか

もしかしたら現代人の口には合わなくて
おいしいと思えないかもしれない

それでも 当時の食生活を知る上で食べてみたいとか
ひょっとしたら意外な味の発見があって楽しめるかもしれない

古楽ってそんな感じかな

必ずしも現代人の耳に心地よいとは限らない

料理にしたって
古代「風」だったり宮廷「風」だったり
現代人の味覚に合うようにアレンジしたほうが食べやすい

音楽も同じ
本来はあっさりした演奏だったはずなのに
もっとロマンティックに奏でるほうが好きだと思う人は
多いのかもしれない

でも自分は現代風にアレンジされてない
当時の料理や音楽に興味があるタイプなんだな




ちょっと視点が違うけど
インド人が作る本格的なインドカリーを
おいしいと感じる人もいれば
日本人の味覚に合うようにしたインド「風」料理や
はたまたカレライスがいいと思う人もいるわけで
どれがいいとは一概には言えない

だけど
原点を追求する姿勢を
作り手は捨ててはいけないような気がするんだよね

2007年10月14日日曜日

チェンバロとは














1.呼称について
ドイツではチェンバロ、フランスではクラヴサン、イギリスではハープシコード、イタリアではクラヴィチェンバロ…
国によって呼び名は様々ですが、これらはすべて同じものである。
日本ではチェンバロ、若しくはハープシコードが一般的な呼称。


2.誕生と繁栄
チェンバロの起源は古く、15世紀以前にまで遡る。
ルネサンスからバロックにおよぶ長い歴史を持つ有鍵撥弦楽器。
18世紀末にフォルテピアノが台頭するまでヨーロッパ各地で製作された。
大別してイタリアン、ジャーマン、フレミッシュ、フレンチがあり、それぞれ構造も音質もタッチも異なる。
特にフランドルのルッカース一族によって製作されたチェンバロの輝かしい音色は魅力的。
各時代、各国において膨大なチェンバロ作品が生み出された。


3.調律とピッチ
調律は現代の12平均律ではなく、中全音律や不等分律を用いる。
ピッチも現在の国際標準ピッチより半音から全音ほど低い。


4.作品への適応
例えば同じフレンチであっても時代によって、或いは製作者によって音質が異なる。
そのような事情から、イタリアの作曲家の作品はイタリアンで、フランスの作品ならフレンチで弾くのが望ましいと言える。
いずれのタイプもピアノに比べ倍音が豊かで、ポリフォニックな音楽では各声部の独立性をはっきりさせることができる。


5.発音機構と鍵盤数
発音機構は鳥の羽軸を楔型に削った「爪」で弦をはじくことで音を出す仕組みになっている。
このように機構的に見ると、「ピアノの前身」というのは間違いだ。
音質的にもリュート等の撥弦楽器に近い。
ちなみに初期フランスのクラヴサン作品には、当時流行っていたリュート音楽を模倣したものが数多くある。
音の強弱はまったく付けられないわけではなく、奏法に応じて僅かに変化する。
鍵盤数は1段であったり2段であったりとまちまち、音域も同様に様々だ。
現代ピアノのように規格化されたものではなく、ひとつひとつの楽器が個性的。
チェンバロはバロック音楽を支えた楽器のひとつであり、当時の音楽表現には適っていた。
「ピアノはチェンバロよりも優れている」といった時代背景を無視した進化論的な考え方は大変危険であり、 否定されるべきものだと思う。



※画像は久保田彰氏の楽器です。

騙されちゃぁぃけねぇょ!!

ことあるごとに
「ヴァイオリンの名器 ストラディバリ」
なんて話題が持ち上がるけど
改造しまくりの楽器の音色云々なんて話は説得力がないよ

音量増加のためには弦張力を高めなければならない
そのため駒を高くし
バスバーは交換され
魂柱も太いものに交換され
ネックの角度を大きくし
指板を延長し
弦もガットからスチールに
これで現代ピッチであるA=442Hzになる!!

極めつけは弓だな
バロック時代の弓とはまるっきり違う!
なんとバロック弓はモダン弓とは逆方向に反っているのだよ!!
つまり本当に狩りで使う弓のような形だね

どう考えてもストラディバリはすでにモダン楽器なわけじゃん
当時の音色とはかけ離れているはず

ロマン派以降に必要となった
音量と均質性を追い求めた結果だね

バロック音楽は均質性を嫌うから
弾く位置で異なる音色が出せる弓は理に叶ってる
ところがロマン派以降では
どの位置で弾いても均一な音色がよしとされる




とまぁ ここまで書いても信者は目覚めることなく

「改造されても素晴らしいんですよ!」

と言うわけで
暗示というものは実に恐ろしいものだと痛感

ヤレヤレですな…

2007年10月13日土曜日

もしもViolaが弾けたなら

目標はバッハの無伴奏チェロ組曲をViolaで弾くことかな
バロックチェロのビルスマみたいな演奏を目指したい
カザルスじゃなくてね!!!

ちゃんとバロックの様式感を心得ている人に教わりたい
そんな希望を受け入れてくれる先生を見つけ出すのは絶望的だけどね…

2007年10月12日金曜日

向き不向き

ものごとには当然ならが向き不向きがある

スポーツはもちろんのこと
仕事にも趣味にもそれは言えることだろう
音楽のジャンルや関わり方も人それぞれだし
どんなふうに向き合って行くかは千差万別だと思う

たとえばバロック絵画の鑑賞を考えてみよう

絵画展へ足を運んでも
「きれい」とか「すてきねぇ」で終わっちゃう人もいれば
もっと深く時代背景まで調べて
描かれた内容の本質まで迫ろうとする人もいる

音楽にも同じことが当てはまる

難しいことを考えずに
とにかく音楽を楽しみたいと思う人がいれば
当時の演奏慣習や時代背景まで入念に調べて
演奏に取り組む人もいる

特にバロック時代の絵画や音楽は
レトリック(修辞技法・修辞学)を理解し
描かれたものや楽譜を読み解いて行けなければ
本質には迫れない

そうした作業を楽しみと感じる人もいれば
苦痛だと思う人もいるのだろう

良い悪いではなく
何を楽しいと感じるかはその人によって違うのだね

2007年10月11日木曜日

階名を当てるコツ

だいぶ前に興味深く読んだ本を久しぶりに開いてみた

東川清一 著 「シャープとフラットのはなし」 音楽之友社

今読み返してもさすがとしか思えない

気になるポイントを箇条書きにしておこう

階名…ドレミファソラシド
音名…ハニホヘトイロハ(CDEFGAHC)

楽譜を開いて階名で歌う時は…
最後の#はシ
最後のbはファ
調号がない場合のトはソ(ヘはファ/ハはド)
と覚えておくと便利


「移動ド」で考えると
ハ長調もニ長調も主音はドになる

2007年10月10日水曜日

様式感

バロック音楽を耳にした時
自分が「あぁ〜いいなぁ〜」と感じる演奏は
その作品に対して説得力のある見識をもって
奏でられるものだと思う

例えば組曲
個々の舞曲が持つ様式感を踏まえているかどうか
どんなに流暢で典雅な演奏であっても
演奏慣習に裏打ちされた様式感に目をつぶるわけにはいかない

ちょっと覚え書きにしてみると…

〜演奏習慣とは〜

☆記譜法の知識
 付点リズムの取り扱い
 ノートイネガル(不均等音符)(フランス様式)
 アーティキュレーション
 不協和音の取り扱い
 装飾音
 即興性

☆様式感
 平均律のプレリュードはイタリア様式のトッカータ(自由で即興的)
 平均律のフーガは模倣の技法による対位法
 通奏低音的な部分もある
 ブリゼ様式
 リュート様式

※当時の一般的な形式についてはだれもが知っていることを前提に書かれている

☆テンポ感、リズム感
 舞曲には決まったリズムやテンポが存在する



やはりこのあたりは無視できないポイントになってくる

理にかなってない演奏を聴いてもイライラするだけで
ちっとも楽しめないのだ!

2007年10月9日火曜日

梨の種まき


なんか果樹の種まきにハマってる!!

調子に乗って梨の「新高」を買ってきて
種を採取してまいてみた

「新高」は梨も終わりの頃に出荷されてる大型の品種で
値段も1個300円ぐらいしてる

種は10粒あったけど1粒は包丁の犠牲になってしまった
残り9粒のうち3粒をまいた
6粒は乾燥させて春まき用に保存

発芽には1ヶ月程度かかるなんて情報もあるので
気長に待つことにしよう

ついでにグレープフルーツの種もまいちゃった
発芽率ほぼ100%らしい

どちらも種が腐りませんよーに!!

古楽とモダンの埋まらない溝

バロック時代の鍵盤音楽で使われる音楽形式の代表的なもの

トッカータ
リチェルカーレ
カプリツィオ
カンツォーナ
ファンタジア

組曲の各種舞曲
プレリュード
アルマンド
クーラント
サラバンド
ジーグ

これらを譜面通り弾いても音楽にならない
では感情を込めて弾けばいいのかというと
そうでもない

肝心なことは記譜されていないので
当時の演奏慣習や形式・様式が重要になってくる

クラシックな人と話をしても
とにかく「楽譜通りに」とか「楽譜に忠実に」と言われてしまい
話が平行線のままになる

埋めようにも埋まらない溝ですな…

2007年10月8日月曜日

スチューベン(葡萄)の種まき


果樹を育てようと思い立ち
昨日は梨とブルーベリーの苗を買ってきた

梨は豊水で
ブルーベリーはラビットアイ系のブルーシャワーと
ハイブッシュ系のブルークロップ

ブルーベリーって200品種もあってよくわかんないけど
自家受粉するから果樹栽培の入門には最適らしい

梨は複数の木がないと受粉しないので
そのうち幸水か新高あたりの苗を買ってくる予定

せっかくだから今朝食べた葡萄の種もまいてみようと思い
種を水洗いして試しに5粒まいてみた

残りは乾燥させて来年の春あたりまいてみようかと…

そもそもいつまいたらいいのかわかんない
5号鉢に観葉植物用の土を入れて
指で1cm程度の穴を開けてそこへ種を入れ土を被せた

まいた葡萄の品種はスチューベン
ニューヨーク州立農業試験場が育成した品種で
酸味が少なくとても甘い

ただ 温暖な気候での栽培には適さず
日本でも青森や山形が主な産地になっている

はたして東京の気温の高い地域で
ちゃんと育つのかどうか ちと疑問ですな

楽典ねぇ(-_-)

楽器演奏する人って

調号見たら即座に何調か言えたり(調判定)
近親調と遠隔調を覚えていたり(5度圏)
三和音や七の和音や九の和音の基本形と転回形をすぐ見抜けたり
和音の度数を即答できたり
コードネーム見て伴奏できたり

な〜んて普通にこなせるもんなのかねぇ?

え?
お前もできるだろうってか('_'?)
はいはいできませんとも!

2007年10月7日日曜日

ルイ・クープラン 組曲ヘ長調

ルイ・クープラン(Louis Couperin)
1626年ショーム(Chaumes)生まれ
1661年パリ(Paris)没


ルイ・クープラン(Louis Couperin 1626-1661)は教会オルガニストの父であるシャルル・クープラン(Charles Couperin c.1595-1654)の三男として誕生した。
後の大クープランとして有名となるフランソワ・クープラン(François Couperin 1668-1733)は、甥にあたる。
ルイは25歳の時、ジャック・シャンピオン・ド・シャンボニエール(Jacques Champion de Chambonnières c.1602-1672)によってそのたぐいまれな才能を認められ、2人の弟と共にパリの宮廷へと赴くことになる。
1653年にサン・ジェルヴェ教会オルガニストの地位を得るが、その後長きに渡りクープラン一族はこの教会の専属オルガニストを輩出することとなる。
宮廷での活躍もめざましかったルイだが、1661年の夏、急な病で倒れ、わずか35歳の若さで惜しまれつつ他界した。

ルイはその短い生涯のうちに200曲余りの作品を残したが、そのうちクラヴサン作品は130曲余り、オルガン作品は80曲近くになる。
17世紀フランスの器楽曲ではリュートがその中心に位置し、クラヴサンは「鍵盤付きリュート」、ヴィオラ・ダ・ガンバは「弓で弾くリュート」と見なされてもいた。
ルイはこの時代の鍵盤音楽の先駆者であるシャンボニエールや、イタリアでフレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi 1583-1643)に学んだドイツのフローベルガー(Johann Jakob Froberger 1616-1667)とパリで交流があったことなどから影響を受け、チェンバロ特有の語法を発展させていった。

プレリュード
ルイの作品の中でもとりわけ特徴的なものに、「プレリュード・ノン・ムジュレ(Les préludes non mesures)」がある。
もともとはリュート組曲の冒頭で奏されたこのプレリュードの形式は、その名の通り「拍子のないプレリュード」であり、すべての音の高さが全音符で記述され、小節線は存在しない。
和音のグルーピングは弧線によって示される。
音楽は時間軸にそって演奏されるものだが、その時間軸を支配する規則性(拍子やリズム)をあえて取り払うことによって多くの即興的要素が生まれ、音楽が持つ新たな可能性を引き出すことができる。
そしてその可能性は演奏者に委ねられているのである。

その他の舞曲
17世紀前半のアルマンドは後の時代のものほどしなだれた感じはなく、堂々とした踊り手の入場を彷彿とさせる。
しかし今回演奏するアルマンドにはgrave(重々しい)の指定があることから、次世代のアルマンドを先取りしていたのかもしれない。
後に続く3拍子のクーラントは器楽的で急速なイタリアのコレンテではなく、軽快ながらゆったりとしたフレンチ・クーラントである。
スペインを起源とするサラバンドはもともと民族ダンスであった。
17世紀にイタリアやフランスでそれぞれ独自に発展したが、フランスでは荘重な雰囲気の舞曲となった。

ルイ・クープランとの出会いがチェンバロを弾くきっかけとなった。
あの時受けたインパクトが少しでも伝われば幸いである。


【参考文献】

1. ルイ・クープラン 組曲とパヴァーヌ レオンハルト
deutshe harmonia mundi (BMG VICTOR, INC. 1992年) BVCD-1809
渡邊順生 解説

2. 使用楽譜(次項参照)

3. 松前紀男 著 「クープラン」 音楽之友社(1985年)

4. 浜中康子 著 「栄華のバロックダンス」 音楽之友社(2001年)


【使用楽譜】

"Louis Couperin Pièces de Clavecin"
DAVITT MORONEY EDITIONS DE L'OISEAU-LYRE 1985

2007年10月6日土曜日

フレスコバルディ トッカータ集 第1巻 序文

1. まずこの演奏スタイルでは厳格な拍子に合わせてはならない。テンポが表現される情緒や言葉の意味に従ってその気分に合わされる今日のマドリガルのように合わせてはならないのである。

2. 私はトッカータの中に別種のパッセージや各種のセクションを挿入したが、それは単独に演奏されてもよいのであって、演奏者はそれを通して演奏しなければならないと考える必要はなく、自分の趣味に従って終わらせればよい。

3. トッカータの始めはアダージョとアルペジョで演奏される。それは、曲の途中のシンコペーションと不協和音についても同じである。和音は両手でアルペジョで演奏しなければならず、又奏者はそれをアドリブで自由に繰り返してよい。楽器は音が途絶えてはならない。

4. 音階や分散和音の中のトリルやパッセージの最後の音符では、パッセージ相互の混同を避けるために --音価に関係なく-- 少し保持しなければならない。

5. 例え小さい音符で書かれていても、カデンツはソステヌート(音を大切に)で演奏しなければならない。そして、パッセージやカデンツの終わり近付けば近付く程、益々速度を落とさなければならない。区切りやパッセージの終わりは両手に対して2分音符の和音で示される。

6. 一方の手がトリルし他方の手があるパッセージを弾いている場合、トリルは規則正しい音符に分けるのではなく、流れるように、パッセージは余り速くなく明瞭に演奏しなければならない。そうしないと混乱が起こるであろう。

7. 一方の手が8分音符のパッセージを演奏し他方の手が16分音符の走句では、二番目の16分音符は少し符点気味にして弾いていく。一つは符点を付け、他は符点なしでという具合に弾く。

8. 例え短い音符でも、16分音符のダブル・パッセージの前の音符で休止をとり、それからきっぱりとパッセージに入っていって手の軽快な動きを示しなさい。

9. パルティータやトッカータの速い変奏やパッセージにおいては、中庸のテンポを選ぶ方がよい。変奏がない場合には、もっとスピードをつけて演奏しなければな らない。曲の精神と奏法の最もよく合致するテンポを見つけ出すのは、奏者の良い趣味と正しい判断に負うものである。

(パッサカリアの色々な部分は随意に取り出して弾くことができる。同じことがシャコンヌにもあてはまる。)

2007年10月5日金曜日

イタリア・オルガニストの流行

武蔵野市は毎年「国際オルガンコンクール」を開いているのだが、2004にその審査員特別マスタークラスで来日したイタリアのオルガニスト、アンドレア・マルコーン氏の公開レッスンが行なわれた。
その時の内容が「日本オルガン研究会」発行の「オルガン研究 XXXII 2004」に掲載されていて、師匠と二人でそのことが話題となったこともある。

トッカータを弾くにあたっては、G.フレスコバルディのトッカータ集第1巻の序文に、どのように演奏すべきかが箇条書きにされている。
フレスコバルディに限らず、17世紀のトッカータを弾く上でこの序文を読まずに済ませることはできない。
で、先の「流行」と言っているのは、その序文を踏まえた最近のイタリアオルガン界での解釈を指している。
フローベルガーで頻出するパッセージのひとつに長いティラータ(tirata)がある。
ティラータとは4度以上跳躍する主要音間を急速に経過音で埋める装飾のことだ。
このティラータは16分音符で始まり32分音符で終わっているが、必ずアチェルランドを伴って弾かれるものであるというのが最近のイタリア的解釈なのだそだ。
つまり譜面通りの音値やリズムではないということになる。
また、トッカータは冒頭の和音をゆっくりと、好きなように装飾やアルペジオにして弾くのが通例だ。
でも楽譜にはただ基本となる和音が書かれているだけ。
上に掲げた序文や当時の演奏習慣が理解できていないと音楽が構築できないわけだ。

ピアノなどクラシカルな演奏習慣を身に付けていると、そうした自由さや楽譜とは違う解釈に戸惑うかもしれない。
何しろ「楽譜通りに弾きなさい」と言われ続けてきたから。

やはりクラシックとバロックは本質的に違うものなのだと思う。

2007年10月4日木曜日

初めにあるものは…

初めに楽器ありき」

ではないはず!

好きな音楽があり奏でたい曲があり

そこで始めて楽器が決まるんじゃないのかなー

だとするとオーボエで吹きたい曲って

今のところないかな…

ビオラなら多少はある

漠然とその楽器が好きであっても

それだけでは続かないかもしれない

やっぱりチェンバロが弾けるならそれでいいかなぁ…

2007年10月3日水曜日

味…デスカ('_'?)

先日チェンバロに傷を付けてしまったー(*_*)

全面にスライド式の板があって
それを持ち上げて外すと鍵盤が現れるんだけど
板を外して楽器の傍に置こうとして
楽器の縁に当ててしまったよ

ちょうど粘土を親指で軽く押して凹ませた感じの傷

でも15年も生活環境の中に置いていると傷が付くのは当たり前というか仕方ないのかな?

掃除機かけただけで足に当たっちゃったりするもんね

もうあちこち傷だらけだよ〜

ピアノとか大型の楽器を所有してる人はどうしてるのかな?

傷もいわゆる「味」ですかねぃ…