2007年10月7日日曜日

ルイ・クープラン 組曲ヘ長調

ルイ・クープラン(Louis Couperin)
1626年ショーム(Chaumes)生まれ
1661年パリ(Paris)没


ルイ・クープラン(Louis Couperin 1626-1661)は教会オルガニストの父であるシャルル・クープラン(Charles Couperin c.1595-1654)の三男として誕生した。
後の大クープランとして有名となるフランソワ・クープラン(François Couperin 1668-1733)は、甥にあたる。
ルイは25歳の時、ジャック・シャンピオン・ド・シャンボニエール(Jacques Champion de Chambonnières c.1602-1672)によってそのたぐいまれな才能を認められ、2人の弟と共にパリの宮廷へと赴くことになる。
1653年にサン・ジェルヴェ教会オルガニストの地位を得るが、その後長きに渡りクープラン一族はこの教会の専属オルガニストを輩出することとなる。
宮廷での活躍もめざましかったルイだが、1661年の夏、急な病で倒れ、わずか35歳の若さで惜しまれつつ他界した。

ルイはその短い生涯のうちに200曲余りの作品を残したが、そのうちクラヴサン作品は130曲余り、オルガン作品は80曲近くになる。
17世紀フランスの器楽曲ではリュートがその中心に位置し、クラヴサンは「鍵盤付きリュート」、ヴィオラ・ダ・ガンバは「弓で弾くリュート」と見なされてもいた。
ルイはこの時代の鍵盤音楽の先駆者であるシャンボニエールや、イタリアでフレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi 1583-1643)に学んだドイツのフローベルガー(Johann Jakob Froberger 1616-1667)とパリで交流があったことなどから影響を受け、チェンバロ特有の語法を発展させていった。

プレリュード
ルイの作品の中でもとりわけ特徴的なものに、「プレリュード・ノン・ムジュレ(Les préludes non mesures)」がある。
もともとはリュート組曲の冒頭で奏されたこのプレリュードの形式は、その名の通り「拍子のないプレリュード」であり、すべての音の高さが全音符で記述され、小節線は存在しない。
和音のグルーピングは弧線によって示される。
音楽は時間軸にそって演奏されるものだが、その時間軸を支配する規則性(拍子やリズム)をあえて取り払うことによって多くの即興的要素が生まれ、音楽が持つ新たな可能性を引き出すことができる。
そしてその可能性は演奏者に委ねられているのである。

その他の舞曲
17世紀前半のアルマンドは後の時代のものほどしなだれた感じはなく、堂々とした踊り手の入場を彷彿とさせる。
しかし今回演奏するアルマンドにはgrave(重々しい)の指定があることから、次世代のアルマンドを先取りしていたのかもしれない。
後に続く3拍子のクーラントは器楽的で急速なイタリアのコレンテではなく、軽快ながらゆったりとしたフレンチ・クーラントである。
スペインを起源とするサラバンドはもともと民族ダンスであった。
17世紀にイタリアやフランスでそれぞれ独自に発展したが、フランスでは荘重な雰囲気の舞曲となった。

ルイ・クープランとの出会いがチェンバロを弾くきっかけとなった。
あの時受けたインパクトが少しでも伝われば幸いである。


【参考文献】

1. ルイ・クープラン 組曲とパヴァーヌ レオンハルト
deutshe harmonia mundi (BMG VICTOR, INC. 1992年) BVCD-1809
渡邊順生 解説

2. 使用楽譜(次項参照)

3. 松前紀男 著 「クープラン」 音楽之友社(1985年)

4. 浜中康子 著 「栄華のバロックダンス」 音楽之友社(2001年)


【使用楽譜】

"Louis Couperin Pièces de Clavecin"
DAVITT MORONEY EDITIONS DE L'OISEAU-LYRE 1985

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