2007年9月30日日曜日

見た目は似てても

チェンバロとピアノはまるで違う。

買ってもほとんど使う機会のないHANONをやってみた。
ピアノでは定番の練習曲集だ。

まずだいいちチェンバロだと鍵盤数が足りないよ〜(-_-;)

それに普段はオールドフィンガリングで弾いてるから、モダンフィンガリング忘れてる!!

とりあえず足りなくなったら折り返すってことで弾いてみたものの、ゆっくりでやっと弾ける程度。

たとえこれがさらさら弾けるようになっても、実践で役に立つものなのかねぇ(-_-;)

5度以上の跳躍はたまに出てくるけど連続することはないし、ピアノ曲みたいにあちこち音が飛ぶなんてことは、スカルラッティやラモーでも選曲しない限りまずない。

17世紀の鍵盤作品を弾いてるぶんにはHANONなんて不要じゃないのかな…

つーか チェンバロでHANONは弾くなってことか!!

新しいこと

本心はやってみたい。
鍵盤楽器以外というか、旋律楽器かな。

でも続ける自信はないかな。

特にモダンのレッスンには、心理的に付いていけない気がする。

「もっと心を込めて演奏しましょう」

とか言われるの嫌だし…

古楽系のレッスンで「感情を込めて」とか「心を込めて」とか、そんなの聞いたことない。

だいいち そんな教え方ないじゃん!

確かに音楽ってそうなりがちだけど、論拠だってあるはず。
ただ感情に流されて演奏するなんてできないよ。

だから もしそんなレッスンだったらかなりショック〜(*_*)
というか やっぱり続けられない。

2007年9月28日金曜日

よい指 悪い指

17世紀の鍵盤音楽を弾く上で、当時の運指法の原則は知っておくべきだと思う。
現代ではあらゆる面で均等化がよしとされるが、400年前はそうではなかった。
5本の指はそれぞれ長さが異なるし、親指に至っては他の4本とは違う向きに付いている。
それぞれの指について能力の均等化を目指すのではなく、むしろ異なる能力をそのまま音楽の中に生かそうと考えていた。

5本の指は「よい指」と「悪い指」に分かれ、強拍には「よい指」を、弱拍には「悪い指」を用いることが普通だった。
ただし、どの指がよいのか悪いのかは地域によって異なるため、作品に応じてよく検討する必要がある。

実際にはアーティキュレーションやフレージングが絡み合ってもっと複雑なのだが、運指を決定する仮定で根底となるのはそこだろう。
現代のように弾き易さがこれらに優先されることはない。

2007年9月25日火曜日

Bachは弾かなーい

自分がバッハを弾かないのはバッハが嫌いだからではない。
かつては大のバッハファン バッハ狂 バッハ信者だった。
いつもバッハを聴いていたし楽譜もたくさん買いあさった。

宗教論争のようなチェンバロ vs ピアノの争いで、ほとんどバッハに対する興味が失せてしまったのが理由のひとつ。

チェンバロを習い始めていろいろなバロック作品に出会ううちに、バッハの異質さに気づいてしまったのも理由のひとつ。

そう、自分のようなバロックの鍵盤曲を弾く者から見れば、バッハこそ異質な存在なのだ。
他に類を見ないほど独特の構造的緻密性を有する対位的音楽形式。
その異質さからあまりに洗練された近代性すら感じ取ってしまう。
自分の琴線に触れたのはもっと荒削りで武骨な17世紀の音楽だった。

バッハには中毒性がある。
ひとたび接してしまうと他に眼が行かなくなってしまう。
ピアノ弾きがショパンを溺愛するがごとく、

「バッハこそ音楽の原点」
「バッハがわたしのすべて」
「バッハを弾くのがライフワーク」

そんな人が世の中たくさんいるわけで…
だがしかし 自分はそうなりたくないのだ!

2007年9月24日月曜日

あれもこれも

やりたくなるんだよなぁ〜

今やってる楽器の他に、別の楽器も習ってみたい。

時々そんな欲求が湧き上がってくるのさ。
ここんとこおさまってたんだけど、久しぶりにウヅキ出しちまったー。

チェンバロの他にオーボエかビオラを再開しようかなと…

でもやっぱりひとつに集中して極めるつもりでやらなきゃダメかね?

余計なことやる暇があったらチェンバロをもっと練習しとけと…
マジメに通奏低音の勉強するとかね!!

読譜演奏

読んで字の如く、楽譜を見ながら演奏すること。
チェンバロはリサイタルの時も楽譜を見ながら弾く。
レッスンでも暗譜を要求されることはない。

楽譜には演奏の可能性をメモっておき、それを見ながらリアルタイムに演奏計画を変更していくことで即興的な演奏となる。

ピアノでバロックを弾く時もこのテクニックは効果的なはずだけど、暗譜にこだわる人が多いのは残念だな…

2007年9月23日日曜日

考え方はいろいろだけど

結構前になるが、ある新聞に某ピアニストの記事が掲載されていた。
あまりに有名なその人の発言に愕然とするとともに、落胆というかやるせないというか、そんな気分になってしまった。

ひっかかったのは大きく2つ。

★楽器
"モーツァルト時代のピアノは発展途上で、作曲家はより大きな音を求めた。
そういう事情を無視して同時代の楽器で弾きさえすれば、より「真実」に近づけるという考えは安易だ。"

本当にそうだろうか…
確かにヒストリカルな楽器を単に弾くだけでは意味が無ない。
その楽器にふさわしい奏法や演奏解釈なくしては片手落ちだと思う。

ベートーヴェンなんかは常にピアノに不満を持っていたようだ。
5オクターヴの小さな木枠の楽器だからそれは当然かもしれない。
彼の書く曲にはこの小さな楽器からはみ出さんばかりのエネルギーがある。
だからと言って現代のピアノで弾こうと考えるほうが安易な気がするのだ。
現代に生きる我々も彼が感じていた不満をその時代のフォルテピアノにぶつけてみればいい。
現代のピアノは大きな音と引き換えに音色の鮮明さやデリケートなニュアンスの表現を失ってしまっている。
聴きとれないほど微かなピアニッシモ。
壊れんばかりに悲鳴をあげて鳴り響くフォルテッシモ。
どれも余裕のある現代ピアノでは体験できないものだ。


★楽譜
"音楽家が参照すべき唯一の規範は楽譜である。演奏の歴史や演奏家の個性は余計なもの。"

これも納得しがたい話。
というか、未だにこんな考え方をする人がいるとは思いもしなかった。
しかも名の通った世界的なピアニストが言うとは…

楽譜は素材にすぎない。
そこに作曲家の思い描いた音楽がすべて書き込まれているわけではない。
実際の演奏に際しては必ず解釈がつきまとう。
単に楽譜通り弾いても音楽にはならないからだ。
だいいちロマン派の音楽ならいざしらず、それ以前ともなれば演奏者の解釈に委ねられている部分は少なくない。
当時の楽器を使い、当時の演奏慣習を調べ、自分なりに解釈した上で演奏することの何が余計なことなのだろう。


古楽もずいぶん浸透して市民権を得たとばかり思っていたが、思い違いをしていたのだろうか。
あるいは凡人には理解が及ばない高みに達している方のお言葉だからなのか...

2007年9月22日土曜日

お持ち帰り


汚い部屋ですんません(・ω・;A)アセアセ…

ご長男さんが本日、チューガッコから弦バスをお持ち帰り。
ファスナーが壊れたソフトーケースに包んだだけで、えっちらおっちら担いできたさー。

ガッコとウチは徒歩8分ぐらいの距離。
火曜日の朝は車に積んで送ってかなきゃだわ!

もっとボロボロな演奏かと思ってたけど、彼にしては意外なレベルかな。
このやる気が持続するならいいんだがねぃ。

でも持ち帰れるなら『マイ弦バス』は不要だよね〜♪

2007年9月20日木曜日

解釈の罠


例えば400年前の人々と現代に生きる我々が同じ価値観や美意識を持っているとは思えない。
移ろいやすく普遍性などないのが人間の感性ではないか。
だからといって、過去の遺産を我々の好みに合わせて改編することが許されるわけではない。

17世紀フランドルの画家、ルーベンスの「最後の審判」に描かれている人物。
そのほとんどが極めて不自然なポーズをしている。
ここで作品の解説をするつもりはないが、我々が何の予備知識もなく現代人の感性だけで作品を眺めても共感できる部分は少ないはずだ。
この宗教画に描かれた場面の意味合いのみならず、そこに秘められてたレトリックや時代背景、強いてはバロック芸術の特徴といったことが理解できなければこの時代の作品を読み解くことは難しい。
もっとも、それが故に現代人の感性にマッチするよう手直しすることなどあり得ないだろうが…

絵画や彫刻は作品そのものが形として残っている。
音楽はどうだろうか。
楽譜という媒体で残されたものはあくまで素材であって音楽そのものではない。
美術と音楽の決定的な違い、それは時間芸術である音楽は演奏された瞬間にしか存在し得ないという点だ。
しかしながら演奏するのは紛れもなく我々現代人である。
だが残された楽譜だけから当時の音楽を鳴り響かせるのは困難だ。
特に古典派以前、バロック音楽においては楽譜にすべてが記されているわけでもなく、現代の楽典で事足りるものでもない。
ここに解釈の罠が潜んでいる。
現代人の感性に頼りすぎ、様式感の欠如した演奏は作品本来の姿を歪めてしまう。
例えばルイ・クープランのプレリュード・ノン・ムジュレ。
小節線がなく、拍子もなく、すべてが白玉で書かれている。
楽譜だけ渡されても演奏することは困難だろう。
仮に弾けたにしても、際限なくロマンティックに仕上げることもできてしまう。
時間芸術の難しさはそこにある。

2007年9月19日水曜日

これはどう弾くんだい?


フローベルガーのファンタジア。
問題は1小節目なんだが…

2007年9月17日月曜日

練習のポイント 001

各セクションの後ろの小節から、だんだん前へ広げながら弾いて行くと、頭から弾いて行くよりムラがなくなるので効率的。

クリスティアン・ペツォルト

「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」は有名だけど

その中の

「メヌエット ト長調 BWV Anh.114 / ト短調 BWV Anh.115」

はこれまた超有名♪

しかしだ これはJ.S.バッハの作品ではないのだよ。

長らく作者不詳とされていたけど ほんとは、

Christian Petzold (1677-1733)

が正解!

この音楽帳は当時の作曲家の作品もたくさん含まれているから、全部がJ.S.バッハ作ってわけじゃないんだよー。


なーんて もう知ってたかな?w

2007年9月16日日曜日

譜読みができてない

それだけでなく、音楽的にわかってないし、頭に入ってないし、指もだめだめ。

絶対的な練習時間が足りてないね。

メヌエットは何拍子?

まぁ普通は3拍子って答えるよね。
でもここはひとつ 笑われるのを覚悟で2拍子だと言ってみたい!

メヌエットってのは舞曲のうちの1つ。
そして6拍で1セットの踊りなんだよ。

なので 2小節が1セットになるわけ。
そんで 1小節を大きな1拍と捉えて、強拍と弱拍の2拍子に感じられるように弾くと踊りやすいんだ。

チェンバロのレッスンではそんなふうに教えたりするよ♪

ま 結局は3拍子なんだけどねw

2007年9月10日月曜日

エコならば



初めて万年筆を手にしたのは中学の頃、オヤジから譲り受けたシェーファーだった。

高校に入ってからも筆記具の中心は万年筆。
数百円の万年筆を数本使っていた。

社会人になってモンブランのNr.144を買った。
残念ながら落として破損しちゃったけど…

最近は筆記することもほとんどないので万年筆も必要ない。

そんな今、手元にあるのはシステム手帳を使っていた頃のパイロット製の細身のやつ。

それからウォーターマンの安いやつ。

エコロジーとか言ってるヤツがボールペン使ってるの見ると偽善者だなーとか思う。


でも、また万年筆ブームみたいね。

さて これは














ある楽器を分解掃除した時の写真ですが、いったい何の楽器でしょう?!

2007年9月9日日曜日

ふえ


さて 笛です。

上の2本が所謂モダン・オーボエです。
上がマリゴ・ストラッサーで下のがロレーdmってやつ。
どっちもセミオート。
オケではロレーを使ってましたー。
リードはショートスクレープタイプのものを愛用っす。

上から3つ目はバロック・オーボエってやつで18世紀頃活躍した楽器です。
もちろんこれはコピー品ですよ念のためw
デンナーモデルというやつで坂本徹氏に製作していただきました。
でも自分には吹けないデス...
音は出るけどね!

いちばん下のはフラウト・トラヴェルソ。
これはバロック・フルートですね。
元の楽器はスティンズビJr.のもので象牙でできていました。
写真のはアウロス製のプラスチックで~す。
でも侮れないんだなこれが!
結構イイ音しますョ♪
あ もちろん曲を吹けるレベルではありませぬ!!!

らっぱ


長男が小5の時に学校の運動会でペット吹くことになって、学校の楽器があんまりアレだし持って帰れないっつーんで急遽ヤフオクでゲットしたYAMAHAのちょっとイイやつ。

これも学校行事と共にお蔵入りなのさー(*_*)
どーしたもんかねまったく...

┐(´ー`)┌ヤレヤレ

代用品


我が家のご長男さまが弦バスの代用ってことでクラシックギターなるものをガッコから持ち帰ってきた。

にわかにエレキが欲しいなどと保崎出したので、

「そんな不良のやるもんにカネなど出せんわ!!」

と言っておいた。

いや マジで「ロック音楽」なるものは不良がやるモンだと思っとるがなw

皇太子サマ♪


その昔、皇太子に似てるなどと大変ありがたい褒め言葉をいただき、ぼっこり凹んだこともございましたが、今はだいぶ気を取り直して比較的前向きに生きております。

さて 皇太子といえばビオラ♪
実はわたくし、中学の頃にビオラを少々かじっておりました。
かじると言っても楽器をガリガリ食べてたわけではなく、ほんの手解き程度に教わってたってことデス☆

同級生のおとーさまが読売日本交響楽団のチェリストで、なぜかその方にビオラを習ってました。

写真のビオラは結婚した時に新調したもので、当初は嫁が習っておりましたが、今となっては…



誰 も 弾 か ね ぇ ! ! !

2007年9月8日土曜日

まだ早いかね


中1の長男さまが水槽で弦バスやっとんだがね。

はたしてマイ楽器を買い与えるべきかどーかっつーとこなわけだ。

本人的には欲しいらしいんだが続くかどーだかわっかんないもんなぁ…


弦バスはコントラバスとかウッドベースとか呼ばれてるやつね。

もともとヴァイオリン族じゃなくてヴィオール族の最低音楽器だったもの。

なので微妙にヴァイオリン族とは違ってる。

例えば弓。

2種類あってヴァイオリン系のフレンチボウとガンバ系のジャーマンボウ。
日本はジャーマンボウが主流みたいね。

楽器がデカくて置き場所が大変だけどデヴがひとり増えたと思えば…