2007年9月25日火曜日

Bachは弾かなーい

自分がバッハを弾かないのはバッハが嫌いだからではない。
かつては大のバッハファン バッハ狂 バッハ信者だった。
いつもバッハを聴いていたし楽譜もたくさん買いあさった。

宗教論争のようなチェンバロ vs ピアノの争いで、ほとんどバッハに対する興味が失せてしまったのが理由のひとつ。

チェンバロを習い始めていろいろなバロック作品に出会ううちに、バッハの異質さに気づいてしまったのも理由のひとつ。

そう、自分のようなバロックの鍵盤曲を弾く者から見れば、バッハこそ異質な存在なのだ。
他に類を見ないほど独特の構造的緻密性を有する対位的音楽形式。
その異質さからあまりに洗練された近代性すら感じ取ってしまう。
自分の琴線に触れたのはもっと荒削りで武骨な17世紀の音楽だった。

バッハには中毒性がある。
ひとたび接してしまうと他に眼が行かなくなってしまう。
ピアノ弾きがショパンを溺愛するがごとく、

「バッハこそ音楽の原点」
「バッハがわたしのすべて」
「バッハを弾くのがライフワーク」

そんな人が世の中たくさんいるわけで…
だがしかし 自分はそうなりたくないのだ!

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