2011年8月30日火曜日

初のチェンバロ練習会

京王線の千歳烏山駅の近くにあるユーロピアノでは、ノイペルト社のチェンバロを取り扱っている。
ノイペルトと言えば、かつてはモダンチェンバロを製作していたことで有名だが、オリジナル指向な昨今ではヒストリカルなチェンバロを製作する方向に切り替えたらしい。
そこにはチェンバロ練習室があり、チェンバロ教室が現在2名の講師陣で運営されている。
当然のことながらピアノ練習室もあって、防音されているとはいえ結構な音が漏れてきたりする。
どこのピアノ販売店でもそうなのだが、試奏する音は半端なく強烈だ。

さて、8月最後の日曜日、そのユーロピアノのチェンバロ練習室で、Twitterで知り合ったチェンバロ愛好家の方と初の練習会を開いた。
今回はお互いに17世紀イタリアの作曲家であるミケランジェロ・ロッシのチェンバロ作品のうち、偶然に3曲とも同じものをさらっていたことで意気投合し、実際にチェンバロを前にしていろいろ探ってみることになった。
その方のピアノ歴は実年齢とあまり変わらないぐらいで、チェンバロ歴はユーロピアノで10年ほど習われているとのこと。
想像通り指は華麗に動き、フローベルガーやルイ・クープランも初見である程度弾けてしまう感じ。
この辺りは大人になってから始めた者には到底越えられない壁だ。

チェンバロを習い始めるきっかけは様々だろうけど、愛好家のみならずピアニストも含めて、やはりバッハを弾きたくてチェンバロに到達する人が一番多いようだ。
それからこの教室の講師の方がフランスで研鑽を重ねてきたこともあるせいか、ラモーやF.クープランに固執する生徒もいるらしい。
他にはルイ・クープランに傾倒している人、フレスコバルディばかり弾いている人もいるとか。
バロック全般をそつなく学ぶ人もいれば、何かひとつ目標を絞って狭く深く掘り下げる人もいる。
後期バロックの有名どころの大作曲家が好きな人が多い中、あまり取り上げられないけれど素晴らしい作品を残している初期・中期バロックの作曲家を好む人もいる。
人によっていろんな関わり方があってよいと思う。

自分は途中で破綻したものの、ロッシを弾き比べてみて感じたこと。
個性も然ることながら、先生の思想の違いが結構あることに気づいた。
フランスでフランス人に師事し、フランスのクラヴサン音楽を中心に学んできた人と、16~17世紀のイギリスやイタリアの鍵盤音楽を掘り下げて学んできた先生とでは、その音楽の方向性が違って当然ではあるのだが、学ぶ側はそのことをもっと意識すべきなのだろう。

お互いの先生の解釈で、いくつか気になった点を掲げておこう。

トッカータの開始部分に置かれる和音は記譜通りではなく、アルペジオや装飾を付加するのは奏者の責任だが、書いてない音を入れるか入れないかで意見が分かれる。
和声的に問題なければ補充するのは可だと思ってたし、そのように習ったが、それを否とする先生もいるということか。

半音階的なパッセージは、ルネサンス時代には「悪魔の音階」として教会の中では禁則事項だった。
バロック音楽はそうしたルネサンスの均整を打ち砕く側面が強く、まさに頽廃した音楽であったのだが、17世紀初頭では半音階はまだ特別なものだった。
特別であるが故に、当時の作曲家はこの半音階進行を曲中の一番おいしいところへ配置することが多く、ロッシのトッカータ第7番では最後のセクションが長大な半音階で構成され、ほとんど調性すら崩壊している。
この半音階をどのように弾くか。
フランスで研鑽を積まれた先生の指導曰く、音を切ったほうがイタリア音楽らしくなるとのこと。
音をつなげてしまうとぐにゃぐにゃして気持ち悪いから切るべきとの主張をされたらしい。
まるっきり自分の師とは正反対の解釈だ。
半音階こそバロックのバロックらしいところ。
ここは思いっきりわざとらしく、ぐにゃぐにゃとねじれまくって気持ち悪くなるぐらいに弾けと教わった。

順次進行での上行パッセージはアッチェルランドして突然消える。
これは聴き手が宙に放り出されたような気分になる常套手段であって、両者ともそのように解釈している点で一致した。

だが跳躍進行する場合の解釈は異なっていた。
自分は極力音を切ることを指摘されたが、その点はあまり強く言われないらしい。

運指については決定的な違いがある。
順次進行のパッセージワークのみならず、すべての運指をピアノ同様のモダンフィンガリングで弾かれていた。
自分はとにかくオールドフィンガリングで弾けと事ある毎に言われ続けてきたが、モダンで許されるのも先生次第なのかと、これはちょっと驚きに値する差異だった。

こうして書き出してみると、基本的な部分で結構な違いがあることに気づく。
解釈の違いは奏法の違いとなり、結果的に生み出される音楽もまた違ったものとなってくる。
一概にどれが正解とは断言し難いものもあって、もし先生を変えるような場合には、この辺りのことをよくよく考えないと不幸になりそうな気がしてならない。

さてさて、あれこれ弾きつつ話をしているうちに、2時間の利用時間があっという間に終わってしまった。
持ち寄った楽譜や文献の半分も紹介できず、かといって場所を変えての延長戦も難しい。

そんなこんなで、また秋頃に練習会を開けたらいいですね、とのことで名残り惜しくも解散となりました。

0 件のコメント: